お点前、頂戴いたします。

 先日、父の関係で日本舞踊を見る機会があった。やはり家元は上手いと感じた。お弟子さんである名取さんの舞踊も見たが、家元は別次元だった。

 何故だろう? と漠然と考えていて今日、ふと分かったような気がした。

 話は若干それるが、私は2018年から茶道を習い始めた。お茶をいただくときに「お点前頂戴いたします」と亭主に一言挨拶するのが、なぜ【お茶】を頂戴いたします、ではないのか? と疑問に思っていたことを思い出した。

 この2つの疑問はまったく同じことだった。

 家元の舞踊は、例え、全体を一つ一つの静止画のコマで割ったとしても、その一つ一つが絵になり美しいのだと思う。 それらのコマを連続して観せられているのだから、理屈的にも美しいに決まっている。

 あともう一つ感じたのは、無駄なコマがないのだろう。最短の軌道で目的を達成していく、そんな印象を受けた。

 人生において無駄は、良い無駄と悪い無駄の二色あるように思う。しかし芸事においては、無駄は悪い無駄しかないように思う。

 私は陶芸を習っているが、例えば抹茶碗をつくるとき、いつまでもカタチづくりで触っていることで良い事はひとつもない。土がもたない。やはり最短で仕上げなければならない。

 また一つ一つの動作が自然に沿っているので、動きに「ムリ」がない。

 以上の、一流の一流の動作を身に付けるにはいったいどれだけの努力が必要なのか? もちろん才能も必要だと思うが、どれだけの鍛錬を積んできたのかが別れ目のような気がする。

 「芸は水に文字を描くようなもの」と誰かの言葉を思い出す。芸事に限らず、あらゆる分野に当てはまるだろうし、もしかしたら日常生活にも及ぶかもしれない。

 私たちが頂いているのは、一杯のお茶ではなく、一杯のお茶を点てる/練るまでの、その人の努力と才能と生き様なのかもしれない。